池内 紀のエッセイ「山の駅」で紹介されていた
「昔の詩人」岩佐東一郎の詩
「航海表」
僕はおびただしい昨日を
身軽に飛び越えてきた「
僕はおびただしい思い出を
気軽に嗅ぎ捨てて了った
僕は今日を消化する
地球が足の下で廻っている
時間が胸の中を通過する
僕は今日も透明である
この「僕は今日を消化する」だけれど‥
それもわかるのだが、
一日は、「消化する」より、もっと
別の言葉を探したくなる
池内 紀のエッセイ「山の駅」で紹介されていた
「昔の詩人」岩佐東一郎の詩
「航海表」
僕はおびただしい昨日を
身軽に飛び越えてきた「
僕はおびただしい思い出を
気軽に嗅ぎ捨てて了った
僕は今日を消化する
地球が足の下で廻っている
時間が胸の中を通過する
僕は今日も透明である
この「僕は今日を消化する」だけれど‥
それもわかるのだが、
一日は、「消化する」より、もっと
別の言葉を探したくなる
自分の意見を強く主張してゆずらないこと。またそこから起こる争い。
いい言葉ではないですが、世の中の不幸の形の一つですよね。
「すべての幸福な家庭は互いに似かよっているが、不幸な家庭はそれぞれの仕方で不幸である。」byトルストイ『アンナ・カレーニナ』冒頭
おまけ
「植物聖堂」108本のオークの木
ミラノの近くの町ローディにある、ゴシック様式の、枝や幹でできた、ジュリアーノ・マウリのランド・アート《植物聖堂》は、9割崩壊していたのが、再建される可能性が出てきたらしい (https://t.co/O4Fd1K3zjd)。 https://t.co/kSTbI8ajWm
— Masayuki Tsuda (@MasayukiTsuda2) 2020年7月28日
なんでしょうかね、うん?あのライオンマン?
内容(「BOOK」データベースより)
「ライオン・マン」―今からおよそ四万年前、世界最古の動物彫刻が現生人類の手によって創られた。材料はマンモスの象牙。二十世紀後半、ドイツ・シュターデル洞窟で発見された、ヒトとライオンを合体させた現実にはありえないハイブリッド・フィギュアはラスコー壁画より古い。人類はなぜ、「芸術」を欲するのか。人類は「神とともに生きる」ことを選んだ時より、「創造する種」としての歩みを始めた。多摩美術大学「芸術人類学研究所」が新しい学問の眺望を、本書において問いかける。
ライオンマン!
これは読まねば、と思った。
無いと思いつつ念のためみると、この3月刊の書が、市立図書館にあったので、
あなたは偉い!!!
繰り返し自分に言い聞かせる言葉
自己達成預言
なるまでなっているふりをしろ
なるまで言い続けろ
イメージする
→実現する
(主導権をもって実行する)
→充実感・幸福感を感じる
これは、
2018年9月に
手帳術の本から抜き書きして
今も
手帳に挟んでいる台詞です。
何という本からだったか忘れましたが・・
サルデーニャ考古学博物館!
カルタゴの人たちがこういうの作っていたなんて。
— @momokanazawa (@momokanazawa) 2020年7月26日
サルデーニャ考古学博物館 pic.twitter.com/F9vXz21Bsl
サルディーニャ考古学博物館とは
2つあるのかな??
しばし、例のごとく行き方をグーグルマップで見ていた・・
~~~パリからいったんコルシカ島(フランス領)に飛行機で行って、
アジャクシオでナポレオンの生家を見てから、
フェリーなどで6時間。
(あるいは、マルセイユからのフェリーだとコルシカ島まで8時間半)??
いや、コルシカ島を外すと、パリからの直行便は、
2時間ちょっとの(ローマからは1時間の)オルビアAeroporto Olbia Costa Smeraldaですか。
そのオルビアから、車で3時間ちょっと・・遠くて不便だな、
・・とみてみたが、いや、そちらでなくてこちらのようだ?
カリアリは、サルデーニャ島最大の街とのこと。
カリアリ国立考古学博物館
こちらは、パリから直行便(2時間)で行けるようだ・・
(あるいはミラノからは1時間)
こちらの、サルデーニャ考古学博物館は、
空港から電車で40分くらい・・近い!
ここだといけそうですね?
ちなみに、
この物体、見ざる言わざる聞かざるではなくて、
体の痛い部分を示して健康の神に祈っている奉納物らしい・・
イタリアの美術館。ようやく再開かな?
でも結局、
行けないけど~~‥
古代エジプトのデッサン。NESP AK ASHUTYの墓から出土。Met pic.twitter.com/C97FjCQ5rg
— @momokanazawa (@momokanazawa) July 25, 2020
そう、それでたとえば、こういうように、神殿の柱になったりするんですね。 pic.twitter.com/wbc23wbhZB
— @momokanazawa (@momokanazawa) July 25, 2020
これはアムステルダムにあったっけ?
この他twitterみていると、
発売というが、私メはいまだ日本には到達しない!と思った・・
(文様・図像渡来の、シルクロードを辿る話であったが)
ちょっと自分のサイト(自家用文書館)を見てみた・・
ソロモン神殿の復元模型部分(アムステルダム博物館)
ヤキンとボアズの二本の柱。百合の花の形をした球状の柱頭→https://www.karakusamon.com/2015k/Boaz_and_Jachin.html
「ユダヤ教の経典タルムードはソロモン神殿の前の二本の柱を太陽と月であると解釈している」(ルルカーの『聖書象徴事典』p289)
以下のページに
「1か月1サブスク」というルール
・・という言葉が、なるほど。
私は3カ月くらいだったかな??でも今は、たしかに、1カ月くらいでもよいかも。
ちなみに、 サブスクって?
ちなみに「スクリーン」誌を定期購読してきた・・これもサブスク(1年)でしたね。
あの雑誌も頑張ってます。好感持っていましたが、
最近(6月から)ベランダガーデニング復活で、
これをやめて、「NHK趣味の園芸」の定期購読(サブスク)にしてみようかな?っと。
私メ、韓流ドラマにシフトして、アメリカ映画中心ではなくなったので・・・
韓国の国策としての映画振興は・・以前、大学の授業でも取り上げられてましたが、
最近声高にNETFLIXの「愛の不時着」など称賛されているが、確かに私にもあれ、すごくおもしろかったのだ・・
その他、ベランダガーデニング復活関連で、
亡夫のニコンで、マクロ撮影してみようかな・・と思い始めたのだが・・
そもそものカメラ充電からてこづっています(笑)
バッテリーというものには寿命がある、5年使わなかったらどうなのかということで、
新しく買うことにしたが、それ以外の問題だったらどうでしょう(^-^;
初めからスマホの軍門に下った方が良かったかも??と思いつつ・・
一カ月かかり、ようやくそろそろ終わりが見えました。
*ミニアチュール Miniature(英)(仏):「語源の異なる二つの概念に用いられる名称で、西洋中世における彩色写本の挿絵、もしくは小型の画面に描かれた細密画を指す。写本とは手書きで写された本のこと。各章の表題(とくに頭文字)を赤く彩色して際立たせるため、鉛丹(minium:ラテン語)を用いたことがこの名の由来となった。」(https://artscape.jp/)
ミニアチュールは、まず、ミニチュア、ミニサイズ、「minute(微細な)」だと思っていました。(wikipedia)
「写本のインクは赤と黒が多く、赤は鉛丹から作られ、強調文字に使われた」と『写本の文化誌』(p24)にもありました。
・・と書いてから
実は「世界美術大全集 西洋篇7 西欧初期中世の美術」を買ったのであった・・・
図書で済ませていたが、
どうやら、下記論考を読む必要があった・・
「西ゴート・モサラベ美術―安發 和彰(あわ かずあき)」
まだまだであるな~
先日の散歩で少々脱力のお寺の掲示板を見たのだが、
図書にそういうタイトルの本があったので借りてみた・・
(ちょっと間が空いたのは順番待ちだったため)
ちなみに昨日は、がん検診の結果を聞きに行った・・全然OK だった・・
https://www.shinchosha.co.jp/writer/6484/
以下!!
2018年の「輝け!お寺の開示版大賞2018」の大賞作品は以下引用
新訳聖書の最後の「ヨハネの黙示録」は、(福音書記のヨハネではなく、)パドモスのヨハネが西暦96年に書き終えたものという。(諸説紛々というが)
黙示録は「第二流の精神の所産」ともD.H.ロレンスはいう。 (『黙示録論』p045)
ヨハネ文書(wikipedia)
ロレンスの黙示録論(1930年45歳、死去の2カ月前の作)
面白い。
特にこういう箇所。
イエスが己の弟子のうちにイスカリオテのユダをもたねばならぬ宿命にあったように、
新訳聖書のうちに黙示録一篇の紛れ込むこともまた不可避の運命であった。
なぜか?それは人間の本性がそれを要求しているからだ。(『黙示録論』p047)
ユダには同情していた私である・・(笑)
黙示録とは、人間のうちにある不滅の権力意思とその聖化、その決定的勝利の黙示にほかならない。(『黙示録論』p047)
イエスのクリスト教精神は吾々の本性のわずかに一部を満足させるのみである。吾々のうちにはなおそれが適合せぬ広範な領域があるのだ。この領域こそ、黙示録が当てはまるのである。
アポカリプスは、クリスト教の隠れた裏面史というべきであろう。アポカリプスは権力に対して敬意を払おうとしない。それは権力者を虐殺し、権力そのものを己が掌中に収めんと冀(こいねが)っている、それがこの虚弱者の本音なのだ。(p052)
諦念と瞑想と自己認識の宗教はただ個人のためのものである。しかしながら、人は己れの本性のほんの一部においてのみ個人たりうる。他の大きな領域においては、人は集団である。(p050)
純粋なクリスト教精神なるものは、国家、あるいは一般に社会というようなものとは絶対に相容れぬ存在である。(p059)
view of the Tapestry of the Apocalypse in Angers, France
凄い数、威容・・
まだ途中だが、
コロナ禍で行けないけど(^-^;
地図を見ていた・・
柱頭行ってわからないけど、右だとわかると思った(笑)https://t.co/UgDe4NnbhO pic.twitter.com/TgRAoEJzX3
— nekomegami (@nekomegami) 2020年7月4日
昨日も、頭が冴えている「神聖なる」午前の時(トーマス・マンは9時から11時半という、私は7時半から10時半あたり)、「黙示録」(関連)を読んでいたのだが、
(ちなみにテーマは空想動物です)
D・H ・ロレンスの『黙示録論』(ちくま学芸文庫 福田恒存訳2004)
そうです、その通り! それは良かった!的な箇所として、
あれですよ、7つの封印を施された巻物、その封印を解くってこと、なんかおかしいよね?
ロレンスが合点がいかないと言ってるが、ほんとに、そうだった。
どういうことかとそのイメージを見ていた・・
1.http://blog.livedoor.jp/hideki4612/archives/1063424705.html
「一つ封印を解いても、巻物はほどきえない」
そうそう!そうでしょ!!!
2.封印1~~6の内容は巻物の表にかかれていて、7つ目の封印を解いたときに初めて中を読める、とするのが、教会の一般的見解らしいが、
それだと封印の役割があるのか疑問です?
牽強付会の説だと思った。
https://kokoronokagi777.wixsite.com/seisyosouko/blank-7
3.
こういうバリエーションもあった・・苦肉の策?
https://loudcryofthethirdangel.com/the-secret-of-the-sealed-book-of-revelation/
4.巻物でなくブック形にして、章ごとを封じている13世紀の写本の図https://fr.wikipedia.org/wiki/Apocalypse_de_Douce
(ボドリアン図書館 オックスフォード 所蔵)
ん~~、これがとても多いけど、これは反則!
「巻物」って言ってるじゃない~~
ロレンスは言っている
「おそらく最後まで巻物を開いてみるつもりなどありはしないのだろう」(p116)
同時に「そのようなことは全くとるに足りない些事にすぎない」といっているが、
この封印された巻物を描かねばならないヤツはどう処理していたのか、それが気になるのだ・・
デューラーはどう描いたのかと思ってみてみたが見当たらないので、
古書を買った・・
「図録 黙示録 -デューラー / ルドン」
https://www.geidai.net/zuroku/610.php
こっちは高くて買えない
ヨハネの黙示録の七眼七角の羊というやつだが、目のつき方はいろいろだった・・
普通の2つの他に額に5つあったり、3つずつ2列で、もう一つ上にあったり・・
眼の話はあっても、角の話はないようだ。
「七眼七角の羊」の画像は、小河 陽訳『ヨハネの黙示録』(岩波書店 1996)には、5つ程載っていた。
以下で見てみたい。出典検索で「ネーデルラントの黙示録」、「ネーデルラントの黙示録写本」をみても、ほぼデュ-ラーばかりという感じだが。
※『トリーアの黙示録』、『ベアトゥスの黙示録註解』(モーガン本)、『バンベルクの黙示録』、『ランベスの黙示録』、『ドゥースの黙示録』がデューラー以前の黙示録図像という。
小河 陽訳『ヨハネの黙示録』p29
「子羊礼拝」
アナグニ聖堂壁画(中央内陣左側)13世紀中頃
イタリア、ラツィオ南部https://www.cattedraledianagni.it/
7本の角と7つの目のつき方が特徴的である。子羊というよりも胴体は馬のようである。
※Museo e Cripta della Cattedrale di Anagnに行きたいと思ったが・・
13世紀の色鮮やかなフレスコ画は、ベネディクト修道士が描いたもの