興味シンシン

興味津津または深深なnekoatama’s blog

腹ふくるるわざとは

折節(季節)の移り変わる事~~(徒然草19段)

「おぼしき事(思っていること)をいわないのは、腹ふくるるわざなれば」というところ、
訳すのむずかしいんじゃないかしらん・・っと。
色々なサイトの現代語訳を見ていておもった・・
中で、
下記の「思っていることをいわないとストレスたまっちゃうから」・・という訳、
ま、いいかも。

tsurezuregusa.hatenablog.jp

思っていることを言わないのは腹の張ったようないやな気持ちがするものだから

https://bonjin-ultra.com/ture1.htm

う~ん。これはどうかな。よさそうだけど、
とにかく胃腸のことじゃないという事の確認をもう少し。dictionary.goo.ne.jp

言いたいことを言わないので気が晴れないでいる。

  1. 「おぼしき事言はぬは腹ふくるるわざなれば」〈徒然・一九〉

 

腹は、腹が立つの腹ですよね・・・・

kotobank.jp

そういえば、慣用的身体語というくくりがありましたね、

http://www.seitoku.jp/lib/shuron/shuron2012/G100801.pdf

 日本語でも中国語でも、胸は「心」が収まる部分であること
から、両言語とも「胸」が「心の中の考え」という意味とか
かわる慣用句がある。
 日本語と中国語における腹」は「心や心の中にある考え」
という意味を表すことがほぼ同じである。)

日本語の「腹」を使った慣用句には、「怒り」「覚悟・決意」
「人の陰険な性格」を表す場合があるのに対し、このような
意味とかかわる言い方は中国語にない

結局、腹ふくるるというのは、心中に思いをため込んでしまうという事、

言いたいことを言わないでいて、不満がたまる、と訳しているのも見た。
不満というか、なんであれ思っていることをいいたいという気持ち・・・
それが、意味ないかもしれないけれど、自分には意味があるという、
表現したいという気持ち、

インプットばかりでアウトプットがないと腹膨れる遺憾いかんと。

 折節の移り変わるこそ、物ごとに哀れなれ。
 「物の哀れは秋こそまされ」と、人ごとに言ふめれど、それも然(さ)るものにて、今一きは心も浮きたつものは、春の景色にこそあめれ。鳥の聲などもことの外に春めきて、のどやかなる日かげに、垣根の草萌え出づる頃より、やゝ春ふかく霞みわたりて、花もやうやう氣色(けしき)だつほどこそあれ、折しも雨風うちつゞきて、心あわたゞしく散りすぎぬ。青葉になり行くまで、萬(よろづ)にただ心をのみぞ悩ます。花橘は名にこそおへれ、なほ、梅の匂ひにぞ、いにしへの事も立ちかへり戀しう思ひ出でらるゝ。山吹の清げに、藤のおぼつかなき樣したる、すべて、思ひすて難きこと多し。
 「灌佛のころ、祭のころ、若葉の梢 涼しげに繁りゆくほどこそ、世のあはれも、人の戀しさもまされ」と、人の仰せられしこそ、げにさるものなれ。:五月(さつき)、あやめ葺くころ、早苗とるころ、水鷄(くいな)のたゝくなど、心ぼそからぬかは。六月(みなづき)の頃、あやしき家に夕顔の白く見えて、蚊遣火ふすぶるもあはれなり。六月祓またをかし。
 七夕祭るこそなまめかしけれ。やうやう夜寒になるほど、鴈なきて來る頃、萩の下葉色づくほど、早稻田(わさだ)刈りほすなど、とり集めたることは秋のみぞおほかる。また野分の朝こそをかしけれ。言ひつゞくれば、みな源氏物語、枕草紙などに事ふりにたれど、同じ事、また、今更にいはじとにもあらず。おぼしき事云はぬは腹ふくるゝわざなれば、筆にまかせつゝ、あぢきなきすさびにて、かつ破(や)り捨つべきものなれば、人の見るべきにもあらず。
 さて冬枯の景色こそ、秋にはをさをさ劣るまじけれ。汀(みぎわ)の草に紅葉のちりとゞまりて、霜いと白う置ける朝、遣水より煙のたつこそをかしけれ。年の暮れはてて、人ごとに急ぎあへる頃ぞ、またなくあはれなる。すさまじき物にして見る人もなき月の寒けく澄める、二十日あまりの空こそ、心ぼそきものなれ。御佛名(おぶつみゃう)・荷前(のさき)の使立つなどぞ、哀れにやんごとなき、公事ども繁く、春のいそぎにとり重ねて催し行はるゝ樣ぞ、いみじきや。追儺(ついな)より四方拜につゞくこそ、面白ろけれ。晦日(つごもり)の夜、いたう暗きに、松どもともして、夜半(よなか)すぐるまで、人の門叩き走りありきて、何事にかあらん、ことことしくのゝしりて、足を空にまどふが、曉がたより、さすがに音なくなりぬるこそ、年のなごりも心細けれ。亡き人のくる夜とて魂まつるわざは、このごろ都には無きを、東の方には、猶(なお)することにてありしこそ、あはれなりしか。
 かくて明けゆく空の気色(けしき)、昨日に變りたりとは見えねど、ひきかへ珍しき心地ぞする。大路のさま、松立てわたして、花やかにうれしげなるこそ、また哀れなれ。