教育学の先人
貝原益軒
貝原益軒は黒田藩に仕え藩校等で朱子学を講じていた
陽明学者ではありませんでしたが,晩年の『大疑禄』では,官学としての朱子学への疑念と気一元論が展開されている
日本で最初の「教育書」とも称される『和俗童子訓』は,武士の子弟のみならず,庶民や女子の教育に関しても,多くのことが論じられ、
「随年教法」は,年齢(つまり発達段階)に応じた教育という発想が希薄だった当時にあって,近代的な一斉授業にも通じる年齢主義の元になった考え方である
エミール・デュルケム(1858-1917 仏)
デュルケムが生きた第三共和制の時代は,フランスが精神的にもキリスト教的教義から解放された時代
社会にはその構成員としての行為する人々だけではなく,その行動を統制して秩序を形成する「社会そのもの」が存在することも主張(社会実在論)//
教育とはその「社会そのもの」を子どもたちの内面に作り上げること
教育は相対的な社会的営みであり,いつの時代,どんな社会にも共通する普遍的教育などはないと指摘人の精神には二面性があり,教育はそのうちの社会的な部分に働きかける営みであることは,デュルケムが道徳教育論で最も強く主張した論点
清水義弘(1917- 2007)
ルドルフ・シュタイナー (1861-1925 独)
人智学(アントロポゾフィー)
シュタイナーは,人間が七年周期で発達していくこと,その最初の七年間で肉体を,次の七年間でエーテル体(活力体,生気体)を,そして,21歳までの七年間でアストラル体(情緒体,感情体)を完成させる。
シュタイナー教育は,子どもの内的発達に合わせた内発的な教育のレディネスを非常に重視しており,その意味で注入主義や主知主義とは相容れない,新教育運動の一環
マリア・モンテッソーリ
(1870 - 1952伊)
先駆的女性
イタリア初の女性医師であったモンテッソーリは,知的障害児を担当する中で,彼らの教育可能性に気づき,それに適した教育法の開発に注力し、感覚教育法を施し知的水準を上げるという効果を見せ
モンテッソーリ教育は,「はだし保育」や「はだか保育」と結びつけられることも多いが,それらは方法的な一部分。アメリカにおいては,数次にわたりブームとなりましたが,幼児教育の主流とはなりませんでした。
フィリップ・アリエス
( 1914 - 1984 仏)
『〈子供〉の誕生ーアンシャン・レジーム期の子供と家族生活』(1960年)
当たり前のもにとして受け入れていた現代の子供緩教育観を歴史的にもう一度見直してみる契機となった