今年ちょこちょこみてきた『漢詩をよむ』も⇒10月からは後半に入る・・
まだテキストを用意してない・・
秋になって、心に何かを感じたり思ったりをすることをいう。
春は春愁といい、秋は秋思という。愁いに比べ、思いは乾いた感じがある。
どうだろう・・?
乾いた=ドライで、対語はウエットということ?
秋
甲骨文
秋は「とき」ともよむが、「みのり」とよむ・・・
穀熟の期としては秋が最も重要であるので、
のちその時期の名となったものであろう。
『漢字暦 2021年11月』平凡社
https://flora.karakusamon.com/2021f/kanji_koyomi_202111.html
このページ、昨年の11月作成だが、
いささかやっつけ気味で、補修見直しが必要だ・・
漢字暦の内容は、『常用字解』と少し違う。
会意。
もとの字は 龝(しゅう)につくり、禾(か)と龜(き)と火(灬)とを組み合わせた形。
禾はいね、穀物で、龜の部分はいなごなどの虫の形。
秋になるといなごなどが大発生して穀物を食い、被害をうけるので、
いなごなどの虫を火で焼き殺し、豊作を祈る儀礼をしたのであろう。
その儀礼を示す字が龝で、「みのり」の意味となる。
のち、むしの形の龜を省略して火だけを残し、秋となった。
甲骨文字に虫の類を火で焼く形の字(※甲骨2)があるが、この儀礼と関係があろう。
この儀礼は秋の虫害に関係があるので、
季節の「あき」の意味に用いられるようになったのであろう。
甲骨文字には、四季の名の春・夏・秋・冬を示す資料はない。
『常用字解 』白川静著
部首「禾」は”穀物”を“表す記号。
穀物が実る季節”あき”を表す。
収穫を迎える最も大切な季節であることから、
”年”を代表して使われることもある。
「一日千秋(いちじつせんしゅう)」がその例。
また、季節に限らず、”重要な時”を指すこともあり、その場合には
「とき」と訓読みするが、現在では、
「危急存亡の秋(ききゅうそんぼうのとき)」という決まり文句以外では見かけない。どちらも例の少ない使い方だが、昔の人びとが抱いていた”秋”への思いが感じ取れる。
『漢字ときあかし辞典』思いを込めて待ち望む 円満字二郎著
思
形声。
もとの字は恖(し)に作り、音符は囟(し)。
囟はひよめき(幼児の頭蓋骨の縫合部分)の形で、
その中は考える働きをする脳のあるところであるから、
心を加えて心に「おもう、かんがえる」の意となる。聡明の聡のもとの字は聰に作り、
その旁の悤は恖の形に近いが、
囱は窓の形であり、音も異なる。
『常用字解 』白川静著
田はここでは”田んぼ”とは関係なく、本来は”脳”の絵だという、
部首「心」と組み合わせて、”頭”で考えたる心で感じたりする”ことを表す。
「思考」「思索」「思案」「熟思」など、音読みでは
”頭”のイメージが強い熟語が多いが、
「思慕」「相思相愛」など”心"に重きを置く例もないわけでない。
一方、訓読みでは、
「確率は高いと思う」「あいつが犯人だと思う」など、頭の働きもあるが、
「食べたいと思う」「故郷を思う」「あの人を思う」のように
重心が心に傾いた例が多い。
「おもう」と訓読みするかんじには、「想」「憶」もある。
一般的には「思」とかくが、
”おもいやる” ”おもい浮かべる”というイメージを強調したい場合には
「想」を使うことも多い。
また、”おもい出す”場合には「憶」を用いてもよいが、現在では一般的ではない。『漢字ときあかし辞典』頭と心のバランスは? 円満字二郎著