0の発見される以前の、無限に継続発展する「循環序数詞」(十干名、十二支名・・by殷族)
「紀元前11世紀以前に、文字の存在とともに確実に発生していた」(『暦の漢字学』水上静夫(p27)
極めて優れた洛陽平原という好条件化の農業適地と、きわめて明澄なる天空という気象条件⇒暦法の発生
甲骨文字に暦という字は発見されていない
「暦」自体は「説文新附」(【説文解字】に漏れた字402字を補ったもの)に初出、『史記』で正字の「歴」(太陽が貴族正しい間隔で歩むの意)の字に代わって用いたとする
暦法=人類が各地で生きるための生活所の大英知の集積
中国では、太陽暦法の純粋なるものはついに姿を見なかった(p40)「太陰太陽暦」
閏月の挿入が整ってきたのは春秋中期(西暦600年以降)
月齢に四津月の盈虚の周期による一朔望月と
一太陽の年の春夏秋冬の年間の季節の循環を調和させる
二十四節気(『漢書』)
干支の10と12の数・・中国では天の数は5⇒10 (五行の5)、地の数は6⇒12(月の満ち欠け)
干支は元来は「日」に名付けたもの(中国最古の文献『書経』)
天体の運行 歳星(木星)が天体を12に分けたどの分野にあるか(金)
(十二支物語 諸橋 轍次 縮写版大漢和辞典の月報をとり纒めたもの〉
「猪」は俗字 正字は「豬」(豕偏)
猪 豕 彘(いのこ)
(北斗星が時に精を散ずると彘になる)
本名は高橋弾之助・・肥え脹ふくれし故豕ぶたという獣に似たりとて最上義光が豕之助と名付けた(『奥羽永慶軍記』)
猪の類は、皆蛇を食う(アリストテレスの『動物史』九巻二章。プリニウスの『博物志』九巻一一五章)
トルーフルを採る法をシャタンの書に種々述べたが、就中 最も有効なは豕
豕が多食・好婬・懶惰 で穢 い事を平気というは世に定論あり。『西遊記』の猪八戒 は最もよくこれを表わしたもの
中世僧侶欧州に充満し怠惰して大食ばかりしたから僧ほど肥えたちゅう諺あり。豕も遊佚 大食する故豕ほど肥えたという。それから何となく僧を豕の棒組と見做 すに及んだ。前条に長々と伝記を述べたアントニウス尊者は諸畜を司り別して豕の守護尊たり。
馬琴の『蓑笠両談』二に、丸山応挙に
臥猪 の画を乞う者あり。応挙いまだ野猪の臥したるを見ず心にこれを想う。
猪武者