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和製漢語 「美術」

「美術」という語を日本語の中に導入した 1873年ウィーン万国博覧会

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「博物館」「博覧会」: 福沢諭吉「西洋事情」(1866)

1872年 湯島聖堂内大成殿 「博覧会」=東京国立博物館の創立

1873年 ウィーン万博日本品陳列

  佐賀藩:佐野常民、尾張藩:田中芳男、薩摩藩:町田久成

    工芸品中心(鎌倉大仏の張り子、漆器、織物、陶磁器)

     尾張城天守閣の金の鯱が呼び物となった

1877年「美術館」という名称 第1回内国兼業博覧会

殖産興業政策から分離した「放物」の収集と保存

1900年 パリ万国博覧会 岡倉天心 九鬼隆一

1916 日本美術史

   「稿本 日本帝国美術略史」Histoire de L'art du Japan

自文化のイメージとして誕生

時代区分(基本的に現在も変わらない)

 仏教渡来以前

 飛鳥

 奈良

 平安(弘仁・藤原)

 鎌倉

 室町

 桃山

 江戸

 

1918年 森鴎外林太郎 東京帝室博物館(現 東京国立博物館)の展示を、時代別に再編成

 

我々の美術経験の基本的な在り方は、ルーヴルにおいて実現されたもの

ルーヴル美術館 1793年

 フランス革命によるブルボン王朝の崩壊後王室や亡命貴族や教会の財産を集めて開館

 開館直後から 国ごと、流派ごとの展示区分が採用された

ジョルジュ・ヴァザーリの著作「建築家・画家・彫刻家列伝」(Vasari 1550)に端を発する

美術作品の分類・配列の基本原理

部屋から部屋へ巡り歩くことが、「美術」の歴史をたどることを意味する

美術作品は偉大な芸術上の「天才」の産物であり、特定の国の特定の時代を代表するもの

視覚だけを特権化する

博物館:植民地支配の結果もたらされる植民地からの産物 異文化の展示

モダン・アート(前衛芸術)の収集  20世紀・・近代美術館

 

博物館と美術館は同じものの収集・展示の機関であるにも関わらず

一方普遍的な科学を背景として文化を語り、
もう一方は普遍的な美を背景として芸術を語る機関として、

相互に排他的な制度を生み出してきた

同じ'Museum'という語を、博物館と美術館と訳し分けた日本の我々は、その区分を最も忠実に踏襲したといわなければならない

 

  以上 吉田憲司「博物館の歴史」より

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6月10日 ウフィッツィ美術館にて