何だか知らないが、オンライン予約図書で、こういう本を借りてしまった。
そういうわけで、返却前に一応見ておくことにする。
原題 THE MAYS OF VENTADORN
(2002)
原著者 W.S.MERWIN
(「ピュ―リツァー賞などを受賞した、現代を代表する詩人」)
訳者 北沢格(いたる) 2004年4月早川書房刊
扉の惹句
詩を志す若き日のマーウィンは、偉大な先達エズラ・パウンドの導きで、南フランスの片田舎に向かう。その地にはかって、恋の喜びと苦悩、悲しみをうたうトルバドゥールと呼ばれる詩人たちの歌がこだましていたのだ・・・
彼らの中でも、類まれな恋愛詩で歴史に名を遺す、ベルナルト・デ・ヴェンタドルンの生涯を、恋の季節の到来を告げる花 サンザシの香りに包まれながらたどる私的紀行
( MAYSは、五月花(メイフラワー)サンザシのこと)
著者マーウィンは、ベルナルト・デ・ヴェンタドルンは、
12世紀初頭の詩人、後継者はダンテ・・・と書いていた。
フランスの凄い辺鄙な場所を訪ねる旅のようだ‥(実際は旅というより何年か住んでいた)
目次読書だが、
第1章では ヴァンタドール城の廃墟を訪ねた話
季節は春で、「白い星のようなハコベととブラックベリーの花と、黄色のハリイエニシダトホオベニエニシダの花が最初に頭に浮かんでくる」・・
出てくる詩人はエズラ・パウンドで、面会した時、「もし詩人になるつもりなら、毎日75行ほど書くべきだ。だが、君の年齢では、君はまだ描くべき対象を一つも持っていない。持っているつもりかもしれないが、それは違う。だから翻訳をやるべきなのだ。」と「裁判官のように」いわれた話・・
第2章には、ドルドーニュ川 ケルシーの夏
子どもの頃の話、長老派の聖職者のよそよそしい父、夏の夜の牧草地、・・
大叔母の遺産で、26歳でフランスの片田舎トルバドゥールゆかりの地の家(ケルシーの無人の元農場)を買って、数年間暮らした話
出てくる詩人はヘルダーリンFriedrich Hölderlin (1770-1843):ネッカー河畔の町ラウフェンに生まれ、1806年以降ヘルダーリン塔」で過ごした詩人。
第3章は最初の妻と村で暮らした話
過去への興味、連続性の糸を手繰ることに夢中になった・・ほとんどの子供は大人いなると出ていった 絶望的に遅れた村
第4章では12年後の夏にケルシーの村を再婚した妻と訪ねた話
・・この地域のことをもう一度見直す・・オック語、ダンテがトルバドゥールたちから受け継いだ遺産・・煉獄編第26歌・・
第5章 ムスティエ=ヴァンタドゥールを訪ねその歴史を語る
「ムスティエとは、大聖堂か修道院の意味を持つ古語」(p102)「ムスティエとは、大聖堂か修道院の意味を持つ古語」(p102)
「石がただ横たわっているだけの現在の瞬間が、あたかも昔からの不変の状態のように思えて、ついにはこれらの石が永遠を体現するようになるだから、わたしたちの眼には、ミロのヴィ―ナスには最初から腕がなかったように映るのであり、廃墟もまたこの城の真実の姿であったように見えるのである」(p115)
城の廃墟があるのは、フランス中南部のポワティエとトゥルーズの間ですね・・
ムスティエ=ヴァンタドゥール (Moustier-Ventadour)は、フランス、ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏
第6章 ベルナルト・デ・ヴェンタドルンの伝記の話
1世紀ほど前の 研究家 カール・アベル
ベルナルト・デ・ヴェンタドルンについての短い『伝記』(ウック・デ・サン・シルク著?)は、最初期のロマンスの中で一定の位置を占め、ロマンスという言葉の成立に貢献した
下のwikipediaでも、ベルナルトの伝説(物語)が書かれている
ベルナルトの伝説(物語)というのは、
ヴェンタドルンはヴァンタドゥール城のパン職人の息子だったが、保護者のヴェンタドルン子爵エブル3世から歌唱法と読み書きを学んだらしい。奥方マルグリートと恋に落ちたためにヴァンタドゥール城を去ることを余儀なくされた・・
ベルナルト・デ・ヴェンタドルン(Bernart de Ventadornまたはベルナール・ド・ヴァンタドゥール Bernard de Ventadour, 生年:1130年ごろ - 1140年ごろ ~ 没年:1190年ごろ - 1200年ごろ)は中世プロヴァンスを代表するトルバドゥール。
◇ジョングルール・ボン・ミュジシャン公式ブログ:放浪楽師と吟遊詩人(2)
第7章 ベルナルト・デ・ヴェンタドルンの詩の話
パルバドゥールの詩の様式の二つの系統のうち、「平明体」(他が「密閉体」)を代表する詩人
恩師のエブルとその主君、ギエム(ギョーム九世)の詩の話
わたしたちのこの愛の成行きは
まるでサンザシの枝のよう
夜の間は雨と霜とで
木の上で震え続けながらも太陽が昇れがあさのひかりが
緑の葉や枝に広がってゆく。(byギエム)
・・ダンテの永遠のヴェアトリ―チェ像で頂点を極める様式化された理想の姿
その伝統を始めた(p153)
トルバドゥールの恋愛詩の先駆け
イギリスでは五月花(メイフラワー)、と呼ばれるサンザシが姿を見せている。
この花は、パルバドゥールの詩の伝統では、恋の季節と、その季節がまた訪れて、もう一度その華を見たいという希望を象徴する花
詩においても季節においても、バラが出てくるのはもっと後のことだ(p154)
プルーストがサンザシの花とそれが象徴する感情について論じている。
”再び見つけるために失う”
面白い。
そんな話はサンザシ - Wikipediaにありませんね~~
セイヨウサンザシの方では、
Crataegus
ロバート・グレイブスは、彼の著書「白い女神」で、メイツリーとも呼ばれるホワイトソーン(サンザシ)が中心である多くのヨーロッパの伝説や神話をたどり、再解釈しています。
ミッドランドサンザシ、Crataegus laevigata (syn. C. oxyacantha): flowers
第8章ベルナルトの歌で繰り返される苦しみとは、距離という問題
「あこがれ(ロンギング)」という言葉の意味自体が距離感と深く関わる
「遠い愛」はトルバドゥールの伝統に不可欠なものになった
ギエムの詩と11世紀初頭イスラム・スペインの哲学者・詩人イブン・ハズムとのつながりの
イブン・ハズムの恋愛論『鳩の首飾り』(アラブ詩人たちの教科書)
一度かそこらしかあったことのない恋人を強迫観念のように生涯愛し続けるというモティーフは一つの様式
ダンテのベアトリーチェやペロルカのラウエ、このあたりまで来ると、距離というものが死は神々しい変容にまで拡大されてゆく。
女性の理想化と性愛の昇華「(p170)
アベル(ベルナルトの詩を編纂し校訂した)は二つのことが確実であると結論
1 .ベルナルトはヴァンタドルンで生まれ育った
2. ベルナルトは多年にわたって、イングランド王ヘンリーの王の妻となるアリエノール・ダキテーヌと何らかの親密な関係にあっ
魅力的な仮説
アベルの研究から半世紀たった、1966年にベルナルトの詩集を編纂したモシュ・ラザール(フランス人)
「ベルナルトの生涯について、われわれは全く何もわかっていないことを謙虚に認めるべきである」
第9章 ベルナルト・デ・ヴェンタドルンの詩語
ダンテは、アルナウト・ダニエルこそパルバドゥール最高の詩人であると考えていた。(p179) ・・密閉体を駆使した技量
ダンテは愛という主題の中に、多様な形の経験と広範な人間の行動と歴史を、少なくとも論理的には加えることができた。(p180)
愛が私に霊感を与えたとき、それを書き付け、
心に命じられたままに伝える者、
それがわたしだ。(byアルナウト・ダニエル)
うたっても、わたしには無益のように思える、
その歌が心から出てきたものでない限り、
そして、真実の愛がそこにない限り、
歌が心から出てくることはない。(byベルナルト・デ・ヴェンタドルン)
歌いたい者には歌わせよう。
わたしには、あそこでのやり方がもうわからない
わたしの幸福の源が失われてしまったのだから。
この世の喜びのすべてはわたしたちのものとなる、
わがひとよ、わたしたちが互いに愛し合うならば。
ああ、毎日、
わたしの本当の喜びを
ベッドの上や、窓から見ない限り
わたしにとって生命などなんいなろう。
「ベルナルトの詩の大半は、おそらくベルナルトが生きていたころから有名だったろう・・
ベルナルトの抒情詩の代表作としてよく紹介されるものは、彼が最後に書いた詩だっだのかもしれない(p185)
太陽の光を受けてヒバリが
喜んで羽ばたくうちに
われを忘れて
甘美な心のまま堕ちてゆくのを見るとき
ああ、喜びに浸るものへの嫉妬の気持ちがこれほどわき起こるとは
わたしの心がその欲望で溶けぬとは
何と不思議なことか。
ああ 愛についてはよく知っていると、
思っていたのに、これほど知らなかったとは!
愛しても何にもならぬあの人を愛さずにはいられないのだから。
あのひとは自分自身を取り上げ、わたしの心を取り上げ、
わたし自身とこの世のすべてを取り上げて、
去ってゆき、残しものは欲望と
なおも焦がれるわたしの心のみ。
1209年、アルビジョワ十字軍という戦闘と略奪を旨とするごろつきたちにより、ヴェンタドルンにおけるトルバドゥールたちの偉大な日々は終わり、ドルヴァドゥ―ルの伝統と宮廷恋愛の掟は、二度と昔日の姿を取り戻すことはなかった(p192)
第10章 秋のヴァンタドゥ―ル
20世紀の聖職者レオン・ビイェの城とその相続者の研究
トルバドゥールたちの歌の始まりとなった城壁が、沈黙を守ったままそびえている
エピローグ
1895年に、レヴィ・ミルポワ公侯がこの城を買った。
1863年以来、この城に関するプロジェクトがゆっくりと勧められている・・
解説 Rea the seeds(長田弘)
E・ル・ロワ・ラデュリ『ラングドックの歴史』(和田愛子訳「、文庫クセジュ)という小さな本、
先史時代から「そして、滅んでいった」という時代の終わりの言葉を繰り返す、南フランスのラングドックと呼ばれる地方の歴史を綴った本
歴史というのは土地の物語に他ならないと、それもどこか血の臭いのする土地の物語にほかならないことを、あらためて想起させずにはいない。
マーウィンという詩人の本は、そのラングドックという土地の歴史に残されてきた、
まさに「ひとつの文学語」がつくりだした「文化共同体」の記憶をめぐる本だった
エズラ・パウンドの手紙の一行
[小枝ではなく、種を読むこと (read the seeds,not the twigs of poetry)]
目に見えるものでなく、目に見えない詩の種
ひとりの詩人が目撃した the seeds,としての「歴史」の風景
マーウィンの詩「場所(Place)」(長田弘引用 この世界での生き方の姿勢をまっすぐに刻んだ一篇))
この世界の終りの日に
わたしは一本の樹を植えたい
何のためにか
果実のためではない
実をむすぶ樹は
植えられた樹ではないわたしが植えたいのは
この地球に初めてそだつ樹だ
沈んでゆく
太陽を浴びて根は
水に潤されて死者たちでいっぱいな地球にそだつ樹だ
すると雲が移ってゆく
ゆっくりと
葉の繁るその樹の真上を
マーウィンは2019年3月に91歳で亡くなりました。