興味シンシン

興味津津または深深なnekoatama’s blog

楽しみな本

 昨年10月刊のちくま新書であるが、
まずは目次読書をしようと思って広げたところ・・

石とぶどうだ‥

 ちなみに、前著については・・以下に。
[ゴシックとは何か]ww.karakusamon.com
その方は、講談社2000年刊⇒ちくま学芸文庫2006刊で
私の目次読書2014-06-22(一読は 2008/6/3 で、その6年後のまとめ)・・
同じく6月の読書であったが、7年たちますね‥

 

こちらのご著書の
「序」章は、フランス中部オーヴェルニュ地方のサン・ネクテール教会堂に始まる・・
柱頭装飾に、「キリスト教の意味付けと動植物への信仰がつなげられている」とある(p013)

 

Chapiteau „L'Âne à la lyre et l'Homme chevauchant un bouc“, l'église de Saint-Nectaire (Puy-de-Dôme) - 1837
サン・ネクテール教会堂:

2019年の6月に見たヴェズレー大聖堂等の柱頭を思い出した。
仏蘭西浪漫(FRANCE・ローマン)

 第1章には、コンスタンツァ廟のはなしあり。ここで、
「コンスタンツァの肖像画(モザイク)がバックス信仰で神聖視されるぶどうの木とその果実、そしてワイン囲まれて描かれている」(p048)・・というのは事実だが、

これについて、「こうしてキリスト教と異教の図像を隣接させることで両者をつなげようと目論まれている」という。
また、「この装飾のベースにあるのは、古代ローマのバックス信仰である」というのは、ともかく、
「しかし本来のギリシアディオニュソス信仰は、こうした平和で牧歌的な光景とは無縁だった。」ということ、

ディオニュソス神話の確立までの、地理と要素の追加の話が、そういう視点か当方には不足していたと・・改めて思ったので、以下に抜き書きしたい。 

ディオニュソスは動物と植物の生命を司る男性の大神とされ、この神の名のもとに生の豊饒が、狂気と生の放縦の中で祝われていた。(この信仰は、文明の外部とされた、トラキア地方の山奥で生まれたらしい)
輪廻転生を説くオルフェウス教(こちらもトラキア地方が発祥の地)、中でも粉々に砕かれた後に再生するザグレウス神への信仰の影響を受けて、ディオニュソス信仰にも再生復活の要素が加えらていった。
自然界の生命の豊饒、狂気、受難と復活。
これがディオニュソス信仰の基本となり、紀元前6-5世紀にギリシア世界に入ってからは様々に神話化され、また壺絵などに図像化されていった。ぶどう栽培とワイン製造の神という面に関しては、ギリシア世界に入る途次でつく加わったらしい。

すなわち、トラキア地方で誕生した後、ディオニュソ信仰は南下して、エーゲ海東岸の小アジア(現在のトルコ当たり)のフリギアに伝播し、ブドウ栽培とワインを讃える農耕信仰の側面を併せ持つようになった。とりわけイカリア島においてはそうだった。

だが、やがて、エーゲ海を渡って、西進し、ギリシア世界の中心域、アッティカ地方に伝わり、紀元前6世紀ごろにアテネをはじめ都市の祭りに組み込まれるようになると、野性的な面を徐々にそぎ落とされていった。(p050)

「 サンタ・コンスタンツアl霊廟を彩るブドウとワインの装飾の背景には、ざっとこのような歴史がった」「また、この装飾にはまたディオニュソス信仰に由来する復活の願いも込めめられている」

サンタ・コンスタンツァ廟は、私にも大きな関心のあったところで、→(2017年5月27日に尋ねた:アヴェンチーノAventino 20170527)

 

ちなみに、この聖堂を含む、2017年の旅のまとめは以下だが、追記していきたい。

fl死産会の生命の豊饒、狂気、受難と復活。


このところ、2018年・2019年の旅仏蘭西浪漫(FRANCE・ローマン)の方もまとめてきて、ちょっとで終わるので、ようやく本を読める!?のであった・・・

 (以下途中、続く)

 

追記
第2章の、サン・ピエトロ大聖堂の話・・にある

 

ねじれ柱・・ぶどうの木とのつながり

・・ふ~~ん、あれは、単なる意匠でなく、ぶどうの木を模していたと・・
よく見ていない・・それ、

ソロモンの柱で片づけていたが・・Solomonic Column
コンスタンティヌス大帝がペトロの墓を飾るためにギリシアから運ばせた6本の「ぶどうの木の柱(columnae vitineae)」で、

塊から一本丸ごと作られた高さ4.75mの柱
大切に台座に載せられている。
「この殉教者記念堂は 350年頃完成、改築が進められ、8世紀になると、さらに6本のねじれ柱が東ローマ帝国から寄贈された。」

ねじれ柱の列柱の眺めが、ローマのサン・ピエトロ聖堂への巡礼者の目を奪うことになる。ねじれ柱の列柱は西欧の各地で様々な形状になって反復されていく。
ローマ的でありつつ、そうでない。
ねじれ柱はこうしてロマネスクの曖昧さを示す典型的な表現物になっていく。(p061)

Speculum Romanae Magnificentiae- Grotesque Winding Column in St. Peter's MET DP870256

Speculum Romanae Magnificentiae: Grotesque Winding Column in St. Peter's

 


J・B・ワード・パーキンズ(イギリスの古代建築史家 1912-1981)「聖ペトロの霊廟と12本のねじれ柱」(1952年)にある、5世紀の象牙小箱の図像とそれを模した5世紀の聖ペトロの天蓋復元図

 

ソロモン神殿伝説(これらの12本の柱はもともとソロモン王がエルサレムに建てたユダヤ教の神殿に立っていたとし、その前でイエスが説教を行ない、奇跡を起こしたとする)特にこの時イエスが寄りかかっていら一本が「聖なる柱(Columna Santa) 」と呼ばれた。
16世紀からの大改築で、堂内中央の壁龕などに分散されてしまった

 


17世紀にはバロックの天才ベルニーニ(1598-1680)によって聖堂の中央に新たに天蓋と巨大なねじれ柱が設置される。
サン・ピエトロ大聖堂の聖ヘレナ礼拝所上部の壁龕の柱。

※Helena, mother of Constantine I

 

Altare della Basilica di San Pietro, città del Vaticano (Roma) - panoramio (1)

Baldachin of Saint Peter's Basilica (1)

004-015聖ヘレナの上部壁龕 | Bernini@Roma

 

バルダッキーノのねじれ柱は、旧サン・ピエトロ大聖堂のパーゴラに使われていた初期キリスト教時代の円柱を再現したもので、巨大な大聖堂の中心部に視線を集中させる効果を持つ。またベルニーニは、聖堂中心の4つの柱に、4つの聖遺物(ロンギヌスの槍の穂、聖女ヘレナの聖十字架の断片、聖ヴェロニカの布、聖アンデレの頭部)を安置する祭壇を設け、その下に縁の人物像を配した 。(wikipedia

 

amazing-trip.xyz

 (良い案内で、もう一度行きたくなりますが、「天蓋」の字が間違っています。)

 

https://flora.karakusamon.com/2017f/20170531/r-DSC01098.jpg
2017年5月31日撮影
(ベルニーニの天蓋と柱)内陣の青銅製大天蓋Baldachin of Saint Peter's Basilica(パルダッキーノ)

 

 

 ねじれ柱の例として、
フランスブルゴーニュ地方、アヴァロンのサン・ラザール聖堂の正面扉口な
南フランスのエクス=アン=プロヴァンス、サン=ソヴゥ―ル大聖堂付属回廊(12市期末)

 Avallon 010

 

 この写真集が図書にあった。 図説世界建築史というのは見当たらないが・