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歴史(中世)の勉強で

朝活で「 ヨーロッパにおける都市の起源」を読む・・
放送大学テクスト:「都市から見るヨーロッパ史」(第2章)

都市から見るヨーロッパ史 (放送大学教材)by河原温)

 1.古代ローマとゲルマンの遺産

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オッピドゥム:ケルト人の集落 のちの中世城郭都市の先駆的形態
ケルト人=前500年から前1世紀頃 500年以上にわたりヨーロッパ世界に君臨)
ガリア地方(現在のフランス)
前50年カエサルガリア遠征でケルト=ガリアの世界はローマの支配下に。
4世紀後半ゲルマン諸族のローマ帝国内への移住定着

ローマの遺産
1.文字をもたない・・ラテン文字が知の言語
2.ローマ法という法典の受容
3.ローマ人が残した遺産:都市の建造物

ゲルマン人の遺産
1.食事:狩猟、畜産物(肉やチーズ)
2.ブドウ栽培が困難であった北ヨーロッパにおける主要な飲料:ビール醸造  

 2.キリスト教の浸透

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②ローマの歴史家タキトゥスが紹介した原始ゲルマン人の部族集団 ①帝政ローマ期の自治都市。 独立の政治体で,身分別(自由民・解放民・奴隷)は発生していたが,自由民による民会を意思決定機関とし,選挙によって各氏族の長を選んでいた。

4世紀に帝国全体に広がる: 都市区域ごとに信徒を統率する司教、組織

ローマ時代の都市。司教座が設置される。
司教は,4世紀以後はローマ帝国の行政単位であるキヴィタス(都市区)ごとに置かれた
6世紀ごろから、ローマ・カトリック教会はゲルマン諸部族との結びつきを強めた。
ローマ教会の宣教者はフランク族などの支配層を、三位一体説のアタナシウス派キリスト教に改宗させていった。

しかしゲルマン人たちは、ゲルマンの神々や森の聖霊への信仰を容易に捨てなかった。
教会はゲルマン人の自然崇敬をキリスト教の聖人崇敬に振り替えた。
自然と農耕のリズムに応じたゲルマン・ローマの多神教的時間意識を、キリストの生誕、死、復活のプロセスをおきかえる事によってキリスト教化を試みた。

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 ラテン語のブルグスburgusに由来するフランス語で,ドイツ語のブルク,英語のバラboroughに対応する。西欧中世の集落史上特異な性格をもつ。  

市場集落(カストルム/ブルグス)

6世紀ベネディクト修道会の成立:ヌルシアのベネディクトゥス(480頃~546頃)

www.karakusamon.com

特徴:定時課=3時間ごとに区切られた祈りの時間と1日6時間の手の労働

多大な寄進により7世紀以降ロワ―ル・ライン川間の北西ヨーロッパを中心に古典荘園と呼ばれる大規模な土地経営を行なう.
土地台帳(所領明細帳)が残る

サン・ジェルマン・デ・プレ修道院(パリ近郊)、サン・レミ修道院(ランス近郊)

修道院自体が防備された定住地(ブルグス)の核になる
例:シント・トルイデン(ベルギー)

トゥールの聖マルタン修道院、ヘントの聖パヴォ修道院
(ローカルな聖人たちの聖遺物を保持)
彼らの祝日が地域の市場の開設日と結びつき
修道院の存在する場へと引きつける・・

3.都市的定住地の形成

中世初期(フランク王国メロヴィング朝481-750、カロリング朝751-987)
かっての説(ベルギーのアンリ・ピレンヌ)
8世紀以降イスラーム勢力の進出が
ヨーロッパ世界から商業活動全般を失わせた」

現在;金貨に代わり銀貨という少額貨幣を基盤にした貨幣政策の採用は、内部の地域的商業活動の進展に対応するために必要になった
この時期にヴィクスないいポルトゥスとよばれる非農業的定住地(商業地)が生まれてきた;商業交易の中継地

市場集落(カストルム/ブルグス)貴族の城塞や修道院などの支配の拠点に隣接
定住地の形成は多様

北フランスのサン・トメールやアラス・・大修道院が核
例:北フランスのアラス
古代以来のキヴィタス(司教座)に隣接して7世紀に創建された聖ヴァースト修道院を中心にブルグスと呼ばれる都市的定住地が発展し、都市の中心がキヴィタスからブルグスに移動

リェージュやマーストリヒト、トゥールネ・・司教座の周辺に

ヘントやブルッヘ、ナミュール、ウィ・・伯の城塞が中心

南フランスでは、司教座を取り囲んでその外側に複数の新たな定住地(ブルグス)が形成され、9世紀から11世紀にかけて、司教座を活性化しつつ発展

ローマ都市との直接の連続性は否定されている

例:南フランスのアルル

ローマ、ヴェローナフィレンツェニーム、アルルなどでは、メロヴイング朝からカロリング朝にかけて都市生活は縮小し、古代の都市的施設(円形競技場や浴場など)も使用されることがなかった
しかし、10世紀以降、これらの都市は、キヴィタスとしての都市空間を維持したままその周辺に新たな都市空間を発展させていく

 

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テキストp44の図

9世紀以降、北方からノルマン人の侵攻を受けて、西ヨーロッパの多くの都市的定住地は、周囲を囲壁により防備

カンブレの聖ジェリー修道院、ランスの聖レミ修道院、パリ近郊の聖ドニ修道院などの修道院や司教座の多で防備がなされた・・・ノルマン人に対する恐怖の心理的誇張も見られる(一方的な破壊に終始したとは考えられない)
ノルマン人の来訪による新たな都市的定住地が生まれた

例:ダブリン(イングランド

ネーデルランドの特にフランドル地方では、ノルマン人の襲撃を受けつつも、10世紀以降ヘント、ブルッヘ、イーブルなどが西欧有数の商工業の中心のとして再生・発展していった。

結語は以下

教会や修道院の所領を中心に形成された荘園制度(古典荘園制)による農業生産の拡大と

聖俗の領主による商品・貨幣流通の促進 を背景に 

イタリア、南フランスに見られるような古代ローマの遺産である司教座(キヴィタス)の実質的存続とその発展
北西ヨーロッパにおけるような聖俗の領主の拠点(修道院や城砦など)を核とし、その周辺地に形成された商工業者の定住地(ブルグス)の発展などが、
地域の政治的、経済的、宗教的な中心地として中世盛期以降の都市空間を形づくることになる。

 

 

 2014年にこのあたりの関連を少々みていたかどうか・・
キリスト教が都市の形成にどのような役割を果たしたかという観点だが、
下のページで引用の通り、

モンテ・カッシーノのイメージ

次の旅、山登りは無理?
と思うので、私が行くとしたら、
やっぱりアルルだろうか?

ランスの聖レミ修道院
トゥールネ、ヘントの聖パヴォ修道院にも食指が動く・・・フランドル伯居城・・怖そう~~等々言いつつここまでで・・

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