絵画からオランダを見るとすると
「ブリューゲルとネーデルラント絵画の変革者たち」
幸福 輝/著 東京美術 2017年04月刊
・・はどうかな?
ブリューゲルとネーデルラント絵画の変革者たち (ToBi selection)
- 作者: 幸福輝
- 出版社/メーカー: 東京美術
- 発売日: 2017/04/15
- メディア: 単行本
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その前におさらい
オランダ独立戦争による、君主制やカトリック的伝統の破壊、オランダ芸術はこれらの大きな変革の結果、素晴らしい成果となって結実した
オランダの黄金時代の絵画を最もよく特徴づけるのは、それまでになかったジャンルの絵画が制作されたことこのようなジャンルの専門化は1620年代後半に始まっており、1672年のフランスのオランダ侵略までが、オランダ黄金時代絵画の最盛期となった。
オランダが世界的な影響力を持っていた、ネーデルラント諸州の独立戦争である八十年戦争(1568年から1648年)の終わりから17世紀(オランダ黄金時代)を中心として、オランダ人画家たち、あるいはオランダで活躍した外国人画家たちによって描かれた絵画
宗教を扱った絵画が少ない
絵画においても、歴史画を最上位に、静物画を最下位に位置づける「ジャンルのヒエラルキー (en:Hierarchy of genres)」 は広く受け入れられており、多くの画家が歴史画を制作している。
しかしながら歴史画は、たとえレンブラントの作品であったとしても売却が困難で、ほとんどの画家は「ヒエラルキー」としては下位ではあるものの、売却が容易な肖像画や風俗画を描くことを強いられた。
現在では当時の最高の画家だとされているフェルメール、フランス・ハルス、晩年のレンブラントたちも、当時はそれほど高名ではない、あるいは流行に外れた画家として経済的問題を抱えており、貧困のうちに死去している。
レンブラント、フェルメール、ハルス、ステーン、ヤーコプ・ファン・ロイスダールら、当時を代表する重要な画家と現在では考えられている画家たちがイタリアへは行っていないことは注目に値する
絵画のジャンル
17世紀のオランダでは肖像画が隆盛した
風景画とともに、風俗画の発展と広範な人気は当時のオランダ絵画の最大の特徴となっている
ネーデルラント連邦共和国の繁栄はその多くを諸国との海洋貿易に負っており、都市には川や運河が交錯する水運都市でもあった。このような背景のもとで海洋画は非常に多く描かれるようになり、発展を遂げる。
初期の静物画に描かれたモチーフは平凡でありふれたものだったが、17世紀半ばから高価で異国風なモチーフが「派手に」描かれるようになっていき、それとともに静物画の人気も上がっていった。
次世代の評価
オランダ黄金時代の絵画は「巨匠・偉大な画家 (オールド・マスター)」の作品の大部分を占めているが、これは単に17世紀のオランダで大量の絵画が制作されたことによるものではない。「オールド・マスター」という言葉自体が、オランダ黄金時代の芸術家を意味する用語として18世紀につくられたものである。
オックスフォード美術事典では、静物画の成立は、宗教改革の危機の後、この分野が絵画の存続に貢献したとある。つまり、宗教機関の芸術保護が中断され、画家は収集家や画商から主な収入を得ることになった、ということも挙げられていた。
それぞれの町では異なった特定のモティーフが好まれ、ライデンでは書物や髑髏が好まれたという。
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美術の方でに書きました