大場秀章さんの「植物学とオランダ」読了
以下再読しながら
抜き書き
「心地よい緊張と知的興奮に包まれては過ぎた喜びの多い日々の見聞」@ライデン・・・という感じ。
オランダへのオマージュ・・
リンネ(スェーデン人)の時代オランダは植物学の先進国であったが、、
リンネがオランダで1週間で学位を取ったという話は驚いた
そのころ存在したヘルダーラント大学の論文博士の制度で1735年に
27歳で24ページからなる学位論文を提出したと言うが、
その話はWikipediaにはありませんね。
カール・フォン・リンネ - Wikipedia (Carl von Linné 1707-1778)
「植物学リンネの研究を支援したクリフォート邸での生活はまるで王子のようだった」というのは笑えた。
リンネは学名の出発点となる『植物の種』(1753)を除く植物学における重要な著作のほどんとすべてをオランダ滞在中に出版したという、
「短期間にこれだけの著作をものにしたことに驚くが、この出版にかかる経費の大半がクリフォートの援助によったものだった」(p52)
このリンネの研究を支援したクリフォート邸の建物を文化遺産として保存すべきとあることはともかく、「博物学ではスウェーデンもオランダから濃い影響を受けたのである」
アジサイの発見史だが
アジサイの存在を最初に知った植物学者はリンネの高弟であるスウェーデンのツュンベリ(ツンベルク)だがアジサイをカンボクと同じスイカズラ科ガマズミ属に分類してしまった。
カール・ツンベルク - Wikipedia(Carl Peter Thunberg 1743- 1828)
これをアジサイ属の種Hydrangea hortensisとして再定義したのは、1792年、ロンドン・リンネ協会 (Linnean Society of London)の設立者のジェームス・スミス卿で、アジサイが着目される契機となった
ジェームズ・エドワード・スミス - Wikipedia(Sir James Edward Smith、1759 – 1828)
シーボルトのHydrangea otakusaオタクサアジサイ(仮)の発表(『フローラ・ヤポニカ』1839)より40年近くも前に少なくともイギリスではアジサイに似た植物はかなり普及していた のである。
現在の見方は、アジサイは日本原産でそれが中国大陸に渡って栽培されその一部がイギリスやモーリシャスにもたらされたとするもの(p75)
アジサイ(紫陽花、学名 Hydrangea macrophylla)
原種は日本に自生するガクアジサイ H. macrophylla f. normalis
オランダと日本のアジサイの違いは、一般化はできないが、
青い色の装飾花を持つアジサイが見られないこと(青色の発色が抑えられる土質に関係がある)(p80)
花期が長い(梅雨のころの一時の花でない)。
シーボルトの方だが
「気候馴化植物園」をライデン郊外に設け、研究の傍ら企業家としても活躍した、「産学連携のパイオニアであった」(p67)
ライデンの郊外で日本から持ち帰った植物をヨーロッパの庭園で育つように、栽培し馴化させた。一時ライデンが日本の植物や文化ののヨーロッパにおける発信基地となった。
来日は
1823-29
1860-62
シーボルトは自尊心と功名心が目立つ人であった(p97)
フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト - Wikipedia
カロルス・クルシウス - Wikipedia(Carolus Clusius、1526 - 1609)、フランス生まれのフランドルの医師、植物学のパイオニア
ヨーロッパ最初の公営植物園のひとつであるライデン大学植物園(Hortus Academicus)の設立に尽力し、詳細な植栽の記録を残した。 園芸の世界でクルシウスが記憶されるのは学問的な面のほかに、チューリップの品種改良や栽培によってヨーロッパにチューリップ・バブルをもたらす切っ掛けをつくったこともある
ライデンは 大量の日本植物の導入によって、ヨーロッパの庭園や園芸に変革をもたらした、園芸市場忘れられない町
その他にライデン大学に招聘されたクルシウスは当代同大最高の「本草学者」であった(ウィーンのハプスブルク家の宮廷の侍医であった)
医学・薬学・植物学の三位一体化した学問「本草学」
クルシウスとシーボルトの遺産ともいうべきチューリップ、ハイドランジア、そしてユリはオランダが誇る園芸界のスター。
歴史を踏まえての産業発展である(p92)
オランダの種の多様性は日本に比べたらはるかに低い。
Hoorn, North Holland
17世紀の大航海時代にはオランダ東インド会社(V.O.C)の支社があり重要な港湾
絢爛豪華なオランダ東インド会社(V.O.C)の支社の建物は今
ウエスト・フリース博物館 となっているという(p149)
Westrfies Museum/西フリージアン博物館
Westfries Museum, Hoorn – Welcome to the Golden Age
※vocアムステルダム本社のロゴマーク
Wikipediaによれば今も深川製陶が使っているとかいう!?
(確認できなかった有田焼 窯元 深川製磁のサイト)
佐賀県の有田焼
輸出品の中には、オランダ東インド会社の略号VOCをそのままデザイン化したもの、17世紀末ヨーロッパで普及・流行が始まった茶、コーヒー、チョコレートのためのセット物までもあった
フリースラントの印象
現在のオランダ王家でもあるナッサウ=オラニエ家(Nassau-Oranje)は
もとはといえば、フリースラントに本拠を持つナッサウ=ディーツ家に通じるものだという自負(祖先)
高校生活を終え、植物学に専心することも考えていたころ、出版された『世界名著』シリーズの
解らないながらも惹かれたホイジンガの『中世の秋』(p225)
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カール大帝ーシャルルマニュは世界史上の人気者
フランク王国 在位768‐814
ヨーロッパの歴史を理解するうえで欠かせないのが貴族の爵位
フランク王国の行政区分 「伯」管区
侯爵とはプリンス、すなわち宮家(貴族として最高位)
『中世の秋』の主人公フィリップ善良公(在位1419‐1467)
フランス > ブルゴーニュ地方 > ディジョン
最盛期が華やかであればあるだけ、儚さは倍加しよう。
痛ましき国家を代表するのがブルゴーニュ公国であり、ハプスブルク家のオーストラリア帝国だと私は思っている。このはかなき国家は破れてなおいつくしまれている国家でもある。多くの文化遺産や美風を残したのも、これらのはかなき国家だ(p235)
植物学を発展させたオランダの富と栄光・・・生誕300年を迎えた「植物学の父」リンネのオランダ 留学事情や支援者たちとの交流をたどり、クリフォート邸やシーボルトの足跡を訪ねて時の栄華をしのび、
散策路で出会う植物に人とのかかわりを想う。
植物学者がとらえたオランダの歴史と素顔、その魅力・・・・
2007年7月刊でした。
ほかに
こちら必読っぽいが図書にない(-_-;)
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一応このあたりで、このテーマのまとめを「でっちあげる」ことにします・・・・