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オランダ式庭園

庭園というと イングリッシュガーデンとフランス式整形庭園しか浮かばなかったが

オランダ式庭園Dutch Garden

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卓越した園芸技術にイタリア・ルネサンス庭園の影響が加わり,方形で平坦な小区画を生垣で囲んだ中に1本の樹木や華美な装飾花壇,もしくは噴水などを配する幾何学的なデザインを典型とする。 大庭園の場合にも全体を一つに統合する方向よりは,こうした単位を並置するのが一般的であった。 17世紀に独自の様式として完成し,18世紀にはフランス式庭園の水路などを伴う形式が伝わるが,彫刻的,建築的なデザインよりは,植物学上の見識をふまえた並木や花壇の扱いに特色がみられた。 イギリスの庭園の展開に大きな影響を与えたほか,南半球や東洋から新種を導入するなどヨーロッパ式園芸学を全世界に普及する役を果した

 

フランス式庭園French garden

 

17世紀のフランスで発達した幾何学的な庭園,およびその影響を受け 18世紀にかけてヨーロッパ諸国に築造された同形式の庭園をさす。ブルボン朝の絶対王政下,政治,文化の最高潮の時代に A.ル・ノートルによって大成された。彼はボー・ル・ビコント庭園,ベルサイユ宮庭園において様式を確立。 ル・ノートルの登場以前にも,長い並木道や刺繍花壇といったフランス独自の庭園の要素はみられたが,彼はフランスの比較的平坦な地形を最大限に生かすよう,比例均衡美を駆使した雄大な園景を造り出した。幅広い園路には,しばしば水路を加えて中央に無限に延びるかに見える見通し線をつくり,その両側を対称に造り上げながら,建物近くでは花壇や水花壇,噴水彫刻などを用いたきめ細かい装飾園とし,遠ざかるにつれボスケや水面をマッシブに扱った意匠を展開して変化をつける 。明解な設計理念,地形に即した自由度の高い構成が人気を博し,ベルサイユ宮庭園を模した王侯宮園が全ヨーロッパ中に出現したが,18世紀後半からは風景式庭園の隆盛によって改造されるものも多かった。 

 

風景式庭園landscape garden

18世紀のイギリスで発展した庭園の形式。自然式庭園とも呼ばれる。
17世紀フランスに代表される整形庭園の幾何学的な構成に対する反動として生まれ,非対称や曲線を積極的に用い,理想の風景をつくり出そうとした。またたく間にヨーロッパ中に広まり,多くの既存の庭園が改造された。文学や絵画から強い影響を受けている点が特徴的であり,初期にはジョーゼフ・アディソンやアレグザンダー・ポープなどの論説に影響を受け,また田園の中に廃虚の点在するクロード・ロランやニコラ・プーサンの描く風景も,風景式庭園の世界を先取りするものであった。
ジョージ・ロンドンとヘンリー・ワイズはこの傾向の始祖というべき存在で,チャールズ・ブリッジマンはテンプル家の庭園(→ストウの庭園)でさらに自然に向かっての歩を進めた。さらにルイシャムの庭園をつくったウィリアム・ケントは自然を忠実に写す方向へ進み,ランスロット・ブラウンは極端な単純化を行なってパルテールや彫像などを一切排除しようとし,水の扱いに卓越した技量を示した。
初期には古代風の建物や人工の廃虚が点景として用いられたが,ゴシック復興の機運やオリエンタリズムの進展などに伴い,ゴシック様式の小建物や東洋風のパゴダ,イスラム風の建物などのフォリーが設けられた。なかでも中国庭園が紹介されると,中国風に仮山を築き,中に洞を設けてそりの強い屋根の亭を載せたものも好んでつくられた。後期の造園家ハンフリー・レプトンは,排除されていた建物周辺の花壇などを復活,館の周辺は実用的な色彩を深め,過剰なフォリーを庭園から排除,新境地を開いた。こうした方向とウィリアム・チェンバーズのようにさまざまなフォリーのおもしろ味を追うものの間に激しい論争もあったが,19世紀のロマンチシズムに向けての傾斜が強まっていく。この時代にはアマチュアの造園活動も盛んで,3代カーライル伯によるヨーク近郊のハワード館や,ホーア家のヘンリー2世の造営になるステアトン近郊のスタウアヘッドなどがつくられた。最も熱心に受け入れたのはフランスで,ベルサイユ宮庭園内のプチ・トリアノンのアモーや,ジラルダン侯の営んだエルムノンビィルの庭などが代表的である。

 

 

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6月24日 シャンティイ城庭園のパンフレット

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 「王妃の村里(Le Hameau)」