「欧羅巴の人々にとって庭園とは何であったのか、またそれは野生の自然と比べてどのように緒となっていたのか」・・ということだが
人類最初の人間アダムが最初のガーデナーであった・・
エデンの園は、見て好ましく、食物になる
果物のなる木々のガーデンだった
そして・・問題の木は
生命の木と
善悪の知識の木
エデンの園から追放されてから食べるために額に汗して働く・・
古代には庭=楽園
パラダイスの意味は「囲われた庭」
庭は囲われていることが定義であった・・安全・平和
昔書いたページ:最初のガーデナー
古代ギリシアの庭は、深淵な思想を語る場でもあった
プラトンの弟子、「植物学の祖」テオプラストスなど、植物観察の場でもあった
中世の薬草園につながる科学的探究の場の役割が出来上がっていた。
ギリシアは長い文明化の時期に自然を消費しつくしたといわれる中世の薬草の過程で、自然を消費した。テオプラストスは、
生活を解明するために学問的に自然を理解することが必要であると考え、ギリシアの自然を回復するための試みも提案している
- 作者: ガブリエーレヴァン・ズイレン,小林章夫,Gabrielle van Zuylen,渡辺由貴
- 出版社/メーカー: 創元社
- 発売日: 1999/05
- メディア: 単行本
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人々は庭園を作り続けてきた。王たちは 権勢を誇るために、
キリスト者や人文主義者は 思想の表現の場として、
そして現代人は疲れた心を癒すために……。
古代エジプト、西アジア、そしてローマにおける庭園のあり方とは、壁に囲まれた中庭式のものであるが、歴史的変遷を経て、文化の中心がイタリアに移ると、外部に開いたものとなる。そして、フランスに於いては再び外部に対して閉じ、イギリスに於いては庭園を囲う壁が取り払われる。
これらの庭園構成の変遷に注目する時に気付くのは、ユーラシア大陸上の家屋形式の分類と対応していることである。
庭園における文化と自然との関係については、大室幹雄が『西湖案内』の中で、上海豫園中の扁額の「城市山林」という文字を手掛かりに考察している。
山林のままでないと同時に、むき出しの城市でない独自の風景を形成するとし、庭園とは文化と自然の融合したものであるという。
実際の自然を各文化の思考方法によって解釈し再現した“文化的自然”であると
考える。
今回シャンティイ城とヴェルサイユ庭園行ってきました
エデンの園は、見て好ましく、食物になる 果物のなる木々のガーデンだった 。そして人類最初の人間アダムはまた、最初のガーデナーであった。問題の木は、善悪の知識の木 ・生命の木 だったわけだが、アダムはエデンの園から追放され、食べるために額に汗して働くことになる。アダムと生命の樹は庭師のギルドの紋章にもなっていたというが、古代には庭=楽園で、パラダイスの意味は「囲われた庭」。庭は囲われていることが定義であったという。庭園とは、安全・平和・幸福の象徴であったといえる。また、古代ギリシアの庭は、深淵な思想を語る場でもあり、植物観察の場でもあったという。中世の薬草園につながる科学的探究の場の役割すでに出来上がっていた。ギリシアは長い文明化の時期に自然を消費しつくしたとさえいわれるが、テオプラストスは、ギリシアの自然を回復するための試みも提案している「植物学の祖」であった。
その後も、人々は庭園を作り続けてきた。王たちは 権勢を誇るために、キリスト者や人文主義者は 思想の表現の場として、そして現代人は疲れた心を癒すために……。(「ヨーロッパ庭園物語)ガブリエーレヴァン・ズイレン,小林章夫,訳 創元社 1999)
古代エジプト、西アジア、そしてローマにおける庭園のあり方とは、このように、壁に囲まれた中庭式のものであったが、歴史的変遷を経て、文化の中心がイタリアに移ると、外部に開いたものとなる。そして、フランスに於いては再び外部に対して閉じたが、イギリスに於いては庭園を囲う壁が取り払われる。それらの庭園は山林のままでないと同時に、むき出しの城市でない独自の風景を形成するとされ、庭園とは文化と自然の融合したものであるという。実際の自然を各文化の思考方法によって解釈し再現した“文化的自然”であると考えられている。
ヨーロッパ人が自然風景を「つくる」ようになったころ、風景を描く「風景画」というジャンルが生まれた。風景画成立にまつわる複雑な展開の最後の刺激は宗教改革の波で教会がもはや仕事の場を提供してくれないこと、裕福な収集家のための装飾風景画の始まり。16世紀後半からアントワープから輸出される絵画のかなりの比率が純風景画となったという。
ゴシック建築(12~16世紀)は、象徴の新たな森であるといわれている。ヨーロッパ人にとって自然は征服され消費されるものであったが、つくられ象徴となるものでもあった。