断捨離中、たまたま出てきた、『論語』の書き抜きノートであるが、
例に漏れず、「学而第一」と「為政第二」辺りで終わってました・・・・それで、
今回、中国ドラマを見ながら、この際全文制覇!を目指し、
続きを書きぬいています、という話はもうしたと王莽思いますが。
(思うと書こうとしたら、王莽と出たwww 平家物語 祇園精舎 - Wikibooks)
さすがの、お馴染みの名文ばかりだと思いながら、「郷党第十」まで来て・・
ここにきて、この章は、長文が多い上に、内容がつまらないよと思いつつも、
付き合っているところです・・
ところで、一章前の、子罕第九の「子在川上、曰、逝者如斯夫、不舍晝夜」の
解釈比較をネットで見ていたら、
「論語指導士」なるものがあり、資格認定試験があるというので驚きました…
それは、道徳科の教育関係なのですね。
道徳ですか‥へ~~~っっと。
https://doutoku.mext.go.jp/pdf/junior_high_school_moraltext.pdf
(中学の指導資料55Pに「君子は和して同ぜず。小人は同じて和せず」とあり)
一般社団法人 論語教育普及機構について | 一般社法人 論語教育普及機構
論語教育・・代表理事 加地伸行さんである。
加地さんの「論語入門」を図書で借り、
そのあと「論語 全訳注」を古本で購入していました…
話し戻すと、四字熟語としては、「逝くものはかきのごとくか」というのは。
【もののあはれ】は日本人の感性であって、それとはちょっとチガウだろうという説もあり、
加地さんも、それは違うという話だった・・
時間の経過の速いことを歎いたとする解釈が多いが、
る。
逆に、水のエネルギーに感嘆したとする説( 小川 環樹)の解釈をと
水流に物の本質を感じ取り、そこから学び修養に努めることを、水流の止むことのないのと同じように絶えず行えという解釈){『集注』)もある。
(講談社学術文庫 P205)
ふーーんっと。なにしろ孔子は紀元前6世紀の人だし、短文だし。
好みで解釈するのもありとは思うものの・・
とにかく「郷党第十」は孔子の言葉でなくて、
擬音語多用で、格調落ちてつまらない(と私は思った)。
☆擬音語の例 カンカン侃々 ギンギン
あと、こんな本もヒットしました・・・
徂徠は、「道徳」に異を唱えた男なのです。
〈あまりにも厳格に道徳を説く朱子学は人情の自然を抑圧するのではないだろうか〉(ジャパンナレッジ「世界大百科事典」)
おまけ:最近検索すると出てくる生成AIですか‥wikipediaよりこっちを使う日も近いのかも。
荻生徂徠(おぎゅうそらい)は、江戸時代中期の儒学者、思想家、文献学者で、次のような特徴があります。
- 朱子学に飽き足らず、伊藤仁斎の古学に啓発されて古文辞学を唱えた
- 蘐園学派(古文辞学派)の祖で、蘐園(けんえん)と号した
- 孔子や孟子などの原典に直接あたり、字句の忠実な解釈から研究すべきことを説いた
- 主著に『政談』『弁道』などがある
- 政治優先の思想で、「道」とは安天下の治国的方法であると考えた
荻生徂徠の略歴は次のとおりです。
- 寛文6年(1666年)に江戸二番町で生まれ、本姓は物部氏
- 父は5代将軍・徳川綱吉の侍医・荻生景明
- 弟は徳川吉宗の侍医で明律研究で知られた荻生北渓
- 柳沢吉保の儒臣となり、5代将軍徳川綱吉からも信頼された
- 吉保の引退とともに勤めをやめ、江戸茅場町に蘐園塾を開いた
- 8代将軍吉宗の下で政務の機密事項にかかわる「隠密御用」を仰付けられ、政務の具申をなし、『政談』を献上した
- 享保13年(1728年)に死去した