Philip Rawsonの『タオ 悠久中国の生と造形』(平凡社 1982)
冒頭の訳者(大室幹雄)の解説、「道(タオ)」と「道(どう)」についてだが
日本人が読んだら不快になりそうなことが
「道(どう)」について書かれていた・・
剣道、柔道、茶道、華道の各説明の一句がそれぞれ不快。
最後に、
書の本家たる中国で文字を書くことが書道と呼ばれることはない、とある。
これらの「道」には、タオに独自の溌剌たる生命の自由がないと。
以下のくだりには賛成だ。
本来の「道(タオ)」が哲学であり、宗教的な秘儀であるのに対して、こちらの「道(どう)は社会学的な現象なのである。
「道」という同一の文字を介してだけでも、日本と中国の文化のありようはことのほかたっている
IBRO EN INGLES DE PHILIP RAWSON AND LASZLO LEGEZA WITH 196 ILLUSTRATIONS 33 IN COLOUR
中国の文化をどう理解するかという事について、日本人の方が欧米人に比較してより良い理解者であるなどというのは気のいい思い込みにすぎない。
16世紀以降の関係で、ヨーロッパが独自の視座で中国の文化を解読してきた、その過程の正解と誤解、偏見と正見のごちゃまぜは
明治のある時期を境に、それまでの絶対的な尊崇が、侮蔑や無視へところりと変わってしまった日本の中国観の単純な過程より、はるかに起伏に富み、正解らしいものに近づいている。
うむ(-_-;)
何だろうな・・(;'∀')
日本の社会は様々な影響と悪時代に受け取りながら、独自の噴火を展開してきた。sの意味で上海で出会った日本人の宗匠頭巾はその象徴となっている。
俳人・茶人・易者が登場するときに頭にかぶっている、円筒形の茶人帽 千利休
「タオ~渦巻く生命そのもの」