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興味津津または深深なnekoatama’s blog

「自分とか、ないから。教養としての東洋哲学」

「自分とか、ないから。教養としての東洋哲学」
ようやく順番になり、、図書を読み始めました。
落合陽一さんは、父・落合信彦さんから幼少期に「ニーチェを読んでいないヤツとは話ができねえなという強烈な言葉をかけられたというが、
しんめいさんいわく、

西洋の哲学者は、「生き方」にあんま興味がない人がおおいのだ。
なんでやねん。
頭良すぎて、「認識とは何か」みたいな、おそろしく抽象的なことを哲学してる。
ふとんから出るどころか、むしろ永遠にでられなくなりそう。
おれはこんなこと考えてる場合じゃねぇ。
それでも、ひとり、いるのだ。
ドンピシャで「虚無感」を哲学してる人が。
ニーチェである。
19世紀ドイツにうまれた、哲学界のスーパースターだ。

 

ニーチェが虚無感の克服をテーマにかいた『ツァラトゥストラはかく語りぎ」という本には、こうある。

わたしは諸君に超人を教える。
人間は、克服されねばならない何かだ。
君たちは人間を克服するために、
何をしたか。

うおおお! 全然わからんけど、アツいっぽいな!?
ニーチェをしれば、虚無感を克服できそうだ!
とおもって、期待MAXで調べはじめた。

しかしとにかく、永遠に布団から出られなくなりそうだというwww

その点、

(東洋哲学の代表的な哲学者、ブッダ)
人間、こんなやすらかな顔できるん?
ニーチェの虚無顔とえらい違いや。
 東洋哲学は、とにかく楽になるための哲学なの
無職だろうが、離婚してようが、ふとんにいようが、
くちゃ楽になれる、ヤバい哲学である。

ちなみに、先にいっておくと、東洋哲学にはひとつ弱点がある。
遊びに行ったとき、このブッダのポスターが、でかでかとはられ
どう思うだろうか。

こんな感じ。www
読み進めるのが楽しみです・・ではまた。