中国の古代神話研究の第一人者である袁珂の『中国の神話伝説』
序論篇の第九章、ようやく読了。
神話に材を取った李白の大半の詩は、積極的ロマンティシズムの精神に満ちあふれている
・・というのはよかったが 章末が毛沢東の称揚なので、少し距離を取りたい(;^_^A
神話の利用は、革命の領袖たる毛沢東の詩詞にいたって、未曾有の高さに達する。
毛沢東の詩詞は、いずれも
革命的リアリズムと革命的ロマンティシズムとの結合の典型、模範であるが、
神話に材を取ったものはロマンティシズムの精神が一段と発揚されている。
神話は、それ自身の美しさのためではなく、詩人の革命的理想を記すために引かれている。
したがって、作者は神話を利用するのに、つねに神話を眼前の革命の現実と結び付け、
神話に新しい意味を付与して、古い神話に以前にもまして鮮やかな輝きを発せしめている。(p86)
序論篇はもうちょっとで終わる・・(あと一章)
この第九章は、神話の歴代への影響といういったところであったが、
明代の小説で神話に材を取ったものとしてもっとも有名なのは、
『西遊記』と『封神演義』である。「西遊記」の孫悟空の形象は、インドの史詩『ラーマーヤナ』の神猿ハヌマーンの影響を
受けているだけでなく、李公佐の小説『李湯』の無支祁の形象をも移植しているといえる。『封神演義』も神話小説ということができるが、『西遊記』よりもやや出来が悪い。
フムフム・・
ここを読み終えねば先に進めないというのはつらいところであったが・・・
特に、
漢字がものすごくむずかしい・・
→ 部首 黽 べんのあし(おおがえる)
鼈(すっぽん)鼈甲(ベッコウ)、黿(おおすっぽん)漢字辞典 鼇(おおうみがめ)
地方劇の話なども面白いかもしれないが・・(白蛇伝関連)
次の次からはようやく、神話の記述(物語)らしくなる・・
以下は「蒼頡たちの宴」より
われわれ漢字を使用する人間ときたら、残念なことに、蒼韻のような四つ目ではない。
つまり、「目玉が二つ足りない」のである。
これは、毛が三本足りないことよりも、決定な、致命的な欠陥ではあるまいか。四つ目の偉人が発明したものを、二つ目の凡人がなんとか活用しようというのであるから、
発明者の意図を完全に継承するのは、しょせん無理なことであろう。
笑
いやなにこれ、作者ジョルジュ・バタイユって
