この表紙だと、文字が赤いから気がつかないかもしれないが、全部白黒写真。
以下一葉引用させていただく。
表紙のこの写真は
(p67-69でさらに見られる)F.ヴェルガーラ《アルカンタラの聖ペトルス》の天使の部分という。
内容を見直している・・
そして、来年はまた行くよ,~~気分~復活しつつある。
(2020年は北イタリア・アルルに行きたかったのだが、)これからどうなるのか・・・
・・・現代の都市ロ―マには二度と行きたくないかもでしたが・・
(観光客が多すぎ、スリや物乞い、不道徳なタクシー運転手や中学生女子とか、嫌いな要素が多い。)
あとで解説までみると、若桑みどりさんも書いているが、
この写真集で、「もの言わぬ石の雄弁さ」が見えるということかな・・
いや、この写真家が捉えた彫像の美しさ・・・
http://www.aurelioamendola.it/
「信仰の劇場サン・ピエトロ大聖堂」若桑みどり
「永遠」と「瞬間」を結ぶ場所
ダ・ヴィンチもミケランジェロもラファエロも、キリスト教の精神と古代ローマの文化の総合の上にその芸術を創造した。いや、西欧文化そのものが、この二つの偉大な文明の総合の中で生み出されたからこそ、世界史的な広がりをもった。
語りかける彫刻たち
ローマにとって最悪の事件は1527年にルター派のドイツ兵を交えた皇帝軍がヴァティカンとサン・ピエトロを襲撃し、略奪を恣にしたことである。
16世紀半ば以後、サン・ピエトロの造営は、対抗宗教改革の教会の威信をかけた事業になった。もし、この聖堂がラファエロやミケランジェロが意図したようなギリシア十字の古典的平面図の上に立ち上がっていたならば、現在、われわれが体験する空間とは全く違ったものがここにあっただろう。
光り輝く司教座も、ねじれ柱のある揺れるようなダイナミックな天蓋も、四隅のニッチで大声で叫び、身をよじって風を起こす巨大な聖人たちも。今あるものはみな、世界布教時代の、宗教改革時代の、熱烈でダイナミックな教会の意思を表現している。
宗教はもはや、静かな瞑想や教示によって伝えられ遵守されるものではなくなり、感覚の陶酔と圧倒的な感動によって喚起され動員されるべきものとなった。
ただひとろしずかに端然と座っているのは、大クーポラの手前右手の、もっとも尊ばれている本尊聖ペテロのブロンズの座像である。
この写真集はおそらく初めて、この物言わぬ石の像たちに雄弁に語らせることができた画期的作品である。
バロック芸術の生きた現場
かってこの大聖堂を訪れて、何も聞くことがなく、何も見る事がなく通り過ぎた人々も、これから後は、世界に声を届かせるために叫ぶ大布教時代の聖人の声を聞き、その身ぶりを見ることができるであろう。
続く、ブルーノ・コンタルディ解説はこの大聖堂の設計の歴史などが書かれていた・・
訳者(若桑みどり)追加の参考文献に挙げられていたのものは、
別の写真集だが、
こちらも図書にあったので、また借りて、見てみようと思う。
また、訳者(若桑みどり)の訳書も挙げられていた。
パノフスキーの 『墓の彫刻 死に立ち向かった精神の様態』
(こちらは図書になし)欲しいですね。しかし、例に漏れずお高い(-_-;)
日本の研究家・・
石鍋真澄 - Wikipedia
以下は、サン・ピエトロについてもう一度見ようと思って借りた本・・
p205
こちらでは、地下のネクロポリスを見なければ、この大聖堂はわからないとあった・・
「サン・ピエトロ聖堂は大きさ、つまり広がりとして横にイメージするのではなく、ペテロの墓からミケランジェロのドームへと縦にイメージしなければならない。
歴史の連続性を空間としてイメージしなければならない。」(p170)
それと
「16世紀には到達していない」私であったから、結局、何も見ていないと思う・・
メインはヴァティカン美術館であった。そちらも、見た、とは言い難いかも。
今は、本とヴァ―チャルで補うほかありません・・
サン・ピエトロ大聖堂を含むイタリアを訪れた観光客がかかる「スタンダール症候群」という病気を、1979年にフィレンツェの精神科医師ガジエッラ・マゲリーニが指摘した。これは、膨大な芸術作品群をできる限り多く見て回ろうとする強迫観念が、観光を楽しむ余裕を奪い、頭痛などの症状を発するものである。1975年にガラッシ・パルッツィが著した本によると、大聖堂の美術品はトラヴェルティーノ像165体、ストゥッコ像125体、大理石彫像が110体、ブロンズ像40体があると記されており、そのひとつひとつが大作揃いである。祭壇画はほとんどがモザイクの複製画に取り換えられているが、これも膨大な数になる。聖堂内にある歴代教皇の墓は147基あり、多くは地下礼拝堂にあるが堂内でもたくさんの墓碑を見ることができる。
挙げられていた図像から
●ポルティコのベルニーニの晩年の作「コンスタンティヌス帝の騎馬像」
ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ《コンスタンティヌス帝騎馬像》の詳細画像|MUSEY
●身廊Naveの「美徳の寓意像」(大アーチの上。すべて6メートルほどの巨像)
「大アーチの上にはストゥッコによる美徳の寓意像が置かれている」(1599開始1649完成)とあるのだが(p179)その像は下のwikipedia画像だと思うが、他の像もあるのかわからない・・
St. Sophie Barat, at St. Peter's Basilica in Vatican. 1934
いや、あとで気がついたが、上のこれは美徳像ではなかった‥
いま一度アウレリオ・アメンドラ写真集に戻って、図版一覧を見たら、
解決・・
この、ニッチの像でなく、うえのアーチのその上に乗っている(横たわっている)像の方が美徳像なのでした・・
また、以下のようにすべて作られたようです・・(数はあっているが、くくりは違う)
※関連https://bymn.xsrv.jp/nekomegami/2018ne/prudentia.html
ルネサンス期(15世紀前後)の、英知(賢明)・勇気(剛毅)・節制・正義の四つの徳の擬人像(女神)+三つの神学徳の信仰、希望、愛 (charity)で.計7つの擬人像
・・・・・・・・ ・・
《潔白》G.B.モレッリ 身廊、右、第三アーチ
《平和》G.B.モレッリ 身廊、右、第三アーチ
《悔悛》L.オットー二 後陣、右アーチ
《正義》C.マリア―二 身廊、左、第四アーチ
《剛毅》C.マリア―二 身廊、左、第四アーチ
《慈愛》A.ブオンヴィチーノ 身廊、右、第四アーチ
《貞潔》N.メンギーニ 身廊、左、第二アーチ
・・・・・・・・・・
・・下は美徳とは違う?
《神の正義》A.ボルジ 身廊、左、第一アーチ
wikipediaのこの画像、
右が、N.メンギーニ の《貞潔》 (身廊、左、第二アーチ)
左は、《神の正義》A.ボルジ (身廊、左、第一アーチ)
□アルノルフォ・ディ・カンビオ(?)「聖ペテロ像」
下の本にはネクロポリスの写真がありました。
壁龕はホタテガイの装飾・・
ポンペイレッドみたいな色・・いやこれが、枢機卿の「緋色」でしたか?‥
p43の写真の一部を引用
Category:Vatican Necropolis - Wikimedia Commons