カルチュラル・スタディーズの出発点
1950年代に
ニュー・レフトの運動と結びつく形でレイモンド・ウィリアムズ、
リチャード・ホガートらが広い意味での文化問題を取り上げたあたりに、
この思潮の源泉があるとされる
(by水越 伸 『21世紀メディア論』第6章p115)
その後、英国労働者階級のポピュラー文化を内在的・批判的に検討することから出発し、
1960年代後半から70年代にかけて、スチュアート・ホールらがマスコミュニケーション過程を、それまでのアメリカの諸研究とは著しく異なる観点からモデル化し、問題のありかを示すことになった。
その象徴となったのが、
ホールの、エンコーディング/デコーディング・モデルである。
「メッセージ(テクスト)は複雑な機構の中で、支配的な価値やイデオロギーをエンコードされている。この部分をアメリカの諸研究はほとんど看過してきた。」
「マスメディアからのメッセージは、送り手の意図とは異なる様々な選択と解釈を施されて消費、つまりでコードされていく。」
「コミュニケーションを伝達モデルとしてしかとらえてこなかったことを告発した。」
文化的な意味での「バイアス」(bias特有の傾向性)がかかる、メディアと人間のあり方を研究
アメリカのマスコミュニケーション研究への異議申し立てと位置付けられることになる、トロント学派とカルチュラルスタディズ(p276)